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連載・単発の仕事 連載中
ホニャララ相談室 人生?相談 new!
12年5月21日より開始予定(ほぼ週刊)
ファミ通.comにて5月21日より開始/エンターブレイン
漫画・フジモトマサル

「ゲームホニャララ」以来となるファミ通連載復帰は人生相談形式。皆さんのゲームにまつわる、あるいはまるで無関係の相談に対し、含蓄のあるようなないようなボンコバ流の回答で煙に巻く。応募受付中(こちらのフォームより)。フジモトマサル氏の一コマ漫画イラストも毎回更新予定!
マンガホニャララ 漫画エッセイ
週刊文春で連載中(隔週)
08年5月29号より隔週連載中/文藝春秋刊

FRaU連載「パンに塗るマンガ」以来となる漫画評を週刊文春にて復帰!
連載名を決める際、仮のつもりで「マンガホニャララとか」といったら、そのまま採用されてしまったといういいかげんさが本編にも横溢! いしかわじゅん氏の「漫画の時間」と交代での隔週連載。奥深い「読み」はいしかわ氏にすべて任せての脱線語りを志す。ロゴを「un diu型」に続き林雄司氏が手がける。

単発の仕事
12年〜
※以後、単発の仕事はブルボン小林のツイッター(@bonkoba)で速報を出します。

11年
光文社新書『手塚治虫クロニクル1946〜1967』に解説を寄稿。 new!
ダヴィンチ11月号(ヤマシタトモコ特集)にエッセイ「『ちゃんと』伝えてくれる人たち」掲載。
月刊コミック@バンチ12月号にコラム「漫☆画太郎は漫画界の太郎だ!」掲載。
ファミ通bootleg!にエッセイ「女子高生がやってくるヤア!ヤア!ヤア!(「ギャル☆がん」をより楽しく遊ぶためのBGMの選び方」)を寄稿。
「仙べえ(藤子・F・不二雄大全集)」に解説「ぐっとくる峯野家の『照れ』」を寄稿。

10年
「ゲームの処方箋」発刊の小冊子(非売品)の「ゲームと私」欄にエッセイ掲載。webでもみられます。
FRAU9月号「夢中になれる!本とマンガ」特集にエッセイ掲載。
「横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力」に解説文を寄稿。
 ※初刷に誤記あり。(誤)藤子・F・不二夫→(正)藤子・F・不二雄。謹んでお詫びします。
ナンプレファン4月号「勝手にベスト9」に「好きな博士ベスト9」掲載。

09年
映画秘宝2月号にエッセイ「ゼロ年代とさまざまな観なかった映画のこと」掲載。
東京人11月号に映画評「初めてみた世界の『顔』(『幻魔大戦』評)」掲載。
週刊読書人8/14号藤子・F・不二雄特集にエッセイ(無題)掲載。
「田尻智 ポケモンを創った男」MF文庫ダヴィンチに「ポケモンを遊ばなかった男」掲載。
●フリーペーパー「Dictionary」126号にコメント寄稿。
文藝別冊「吉田戦車」に評論「テレビゲーム漫画の金字塔」掲載。

08年
●ミニコミ誌mob magazine5号にエッセイ「俺とロス疑惑」掲載。
「別腹」6号にエッセイ二編「ファインディングレモ」「勝手にチャプター隊(黎明編)」掲載。11/9、第七回文学フリマにて発売開始。
●東京人12月号にエッセイ「『たかがマンガ』と思わせる遊び」掲載。
●an-an7/16号にエッセイ「苦手な人は嫌いな人とイコールではない」掲載。マガジンハウス刊。
●an-an5/14号「いま増殖中マグロ男ニュース」欄に論説「男には目撃できないマグロ男を捕獲せよ!」掲載。マガジンハウス刊。

07年
ハナコWEST4月号「女を磨くエンタメ」欄にエッセイ「下の名前」掲載。マガジンハウス刊。

05年
●ダヴィンチ10月号に漫画評「Aの不穏な気配(藤子不二雄A評)」掲載。
●ファミ通.comにレポート「ブルボン小林のE3末端リポート」掲載。
●週刊ファミ通2005年5/6号ビバリウム広告欄にゲーム評「現実を侵犯するほどの(ザ・タワー評)」掲載。
●産経新聞のゲーム評(無題)。4/23日。5/21日の二回掲載。
●ダヴィンチ4月号に漫画評「まさに歌うような『ぐっとくる題名』(二ノ宮知子「のだめカンタービレ」評)」掲載。

04年
●CONTINUE vol.14にゲーム評「カプコン『ビューティフルジョー』」掲載。
●GAG BANK vol.9に映画エッセイ「ビル・フォーサイス『アイスクリームコネクション』」掲載。

02年
●Webマガジン「slack」内のコーナー「あんなことこんなこと」にエッセイ「ブックスフクナガ体験記」を寄稿。
●ミニコミ誌「別腹」三号にエッセイ「俺も力士になりたかった(第五回ぐらい)『貴闘力引退について』」を掲載。

これまでの連載
UTSPEL(SHIDORO_MODORO) ゲームエッセイ
LEVEL(スウェーデン)」に連載。
08年1月よりほぼ月刊連載(およそ20回)

ブルボン小林、ついに欧米進出! スウェーデンの雑誌「LEVEL」と、アメリカのサブカルサイト「SLAPPTASTIC」で同時連載(月刊。SLAPPTASTICは第四回までで更新停止)。日本のテレビゲーム文化の特異性をゆるく語った。イラストはスウェーデンのイラストレーターAnne-Li karlssonによる。
2年以上続いたが、間に入ってくれたフリーの編集者と急に連絡が取れなくなり、なしくずしに終了。
ゲームそのなか ゲームエッセイ
北海道新聞(夕刊)で連載
10年4/30より12/17まで月刊連載/全9回

ブルボン小林初の新聞連載。北海道在住の母親に、ちゃんと活躍しているところをみせるために引き受けた。いっけん地味な連載名は、北海道へのオマージュとして、北海道在住の漫画家花輪和一さんの『刑務所の中』の題名をもじった。題字は「スポンジスター」の2g氏が手がける。
スーダラ鑑賞記(協力・福永信) 鑑賞エッセイ
週刊現代で連載(隔週)
09年8/12より10年7月まで隔週連載/全21回/講談社刊

「なるべく取材しない」がモットーの男がどうしたことか飛び出した。映画、演劇、美術館、ギャラリーなど、妙な視点でみてみてまわる。
もとより「コラムの枕に脱線語りしていた映画感想」には変な定評のあった男ブルボン、初の映画評でもある。美術評の時は盟友、福永信の協力を得て送ることに。
10年2月までで「映画評」は終了。DVD評&美術評にリニューアル。
題字・イラストは小玉ユキ氏。呑みの席で(初対面なのに)即興で(無理矢理)描いてもらった。 10年7月をもって終了。福永信との新連載は模索中!
ゲームホニャララ ゲームエッセイ
週刊ファミ通にて連載
08年12月より、10年7月まで月刊で連載。全20回/エンターブレイン刊

週刊ファミ通きっての異色連載「ゲームソムリエ」を、七ヶ月の充電後に新連載「ゲームホニャララ」として復帰。不定期連載だったのが月刊連載になり(やや)やる気アップ。ここでもフジモトマサル氏がイラストを手がけてくれた。
テレビゲームという特異な世界のうまくいえないモヤモヤを、誰でも分かる言葉でゆるく鋭く語りぬき、旧連載と併せ精選し、09年9月に単行本化。その後はゆる鋭すぎたか1年8ヶ月で終了。
ブルボン小林のメガ de ラヴ ゲームエッセイ
メルマガ「今宵の肴はメガドライブで」にて連載(不定期)
08年12月より09年9月まで不定期連載。全6回/発行・T.G.S

メガドライブ発売20周年を記念し、スポンジスターの盟友、戸塚伎一氏ほか旧「BEEPメガドライブ」のスタッフが発行する無料メルマガにブルボン小林がゲスト参加。
不定期で行われるメガ与太話はメガドラ分からない人でも楽しめる(多分)。メールマガジンでの連載は6年ぶりだったが、メルマガ休刊にともない休止。
ブルボン小林のゲームソムリエ ゲームエッセイ
週刊ファミ通(毎週金曜日発売)にて連載
05年11月18号より週刊(07年3月から08年5月まで不定期)連載。全74回/エンターブレイン刊

同名で開催されたイベントに端を発したコラム連載。読者二百名弱のメルマガではじまったブルボンのゲームエッセイはついに、テレビゲーム界のメインストリーム「ファミ通」に到達。オタクよりもソムリエを目指そう? スーダラなようで真面目に語る異色連載。フジモトマサル氏がファミ通らしからぬイラストを担当。07年3月より不定期掲載となる。08年5月、74回で連載終了。08年12月より同誌にて「ゲームホニャララ」として復活。
ブルボン小林・林雄司の「きみとun diu型」 相撲エッセイ
Beth(ベス)にて連載
06年創刊号より8号まで連載 全6回/講談社刊

ジョアン・ジルベルトの名曲に(勝手に)のせて送る新連載。取材嫌いの男ブルボン小林と、変な取材ばかりする男、林雄司がタッグを組んで、「相撲」についてうろ覚えで語り、イラストにする画期的エッセイ。あなたの恋は右四つ? 左四つ? Beth休刊とともに連載終了。林雄司とのタッグは別の場所で模索中。
パンに塗るマンガ+イミナシリーズ 漫画評+ノンジャンルエッセイ
FRaU(フラウ)にて連載
06年1月〜11月まで月刊連載。全11回(イミナシリーズは10月までの全10回)/講談社刊

初の女性誌連載。ロハスやコスメやリュクスな誌面にブルボン節が炸裂したが、雑誌の一時休刊に伴い一時終了。一ページの中にイミナシリーズという「連載内連載」も持っていた。イチカワエリ氏がイラストを担当。
ブルボン小林のソムリエ日記 ドキュメントエッセイ
ブルボン小林のゲームソムリエ告知サイトにて連載
05年1月〜12月まで不定期で掲載。全11回。

単行本「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」刊行を記念して行われたイベント「ゲームソムリエ(05/4於青山ブックセンター)」を盛り上げるために、ドキュメンタリーとして書かれたエッセイ。(寝ブソク)三銃士になぞらえた第一回タイトル「One for girl! All for girl!」が、イベントにかけるスタッフと本人のいじましさを物語っている。イベントが大成功に終わって後は、告知を兼ねたダラダラエッセイになっていたが尻すぼみに終了。
ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ ゲームエッセイ
CONTINUEにて連載
04年2月号〜12月号まで掲載。全6回。/太田出版刊 

ウェブ上のゲームエッセイが評判を呼び、初の紙媒体からの依頼となる。張り切って執筆したが、担当編集者と出版社のトラブルに巻き込まれる形で連載は終了(現在は関係良好)。最終回を除く五回分が同名の単行本に収録された。
ニューぐっとくる題名 題名論
季刊「活字倶楽部」にて連載
03年夏号〜06年夏号まで掲載。全12回。/雑草社刊 

「ぐっとくる題名」の連載移籍先を考えていたときに手にした「活字倶楽部」の、ジャンル縦断の雑食的誌面構成に感動。自らメールで売り込んでカツクラ編集者の度肝を抜く。「活字」倶楽部なので、ここでは活字(小説など)の題名に特化して連載は続けられた。旧連載とあわせ、06年9月に新書として刊行。旧連載にひきつづき、サトウマユ氏がイラストを担当してくれた。
コミック末端通信 漫画評
「BONZO」「e*ONNA」にて連載
bonzo02年冬創刊号に第1回。e*ONNA04年11月号〜05年9月号まで2〜11回掲載。全12回。 /ソニーマガジンズ、ジーオーティ刊

初の紙媒体での連載。ソニーマガジンズが社運をかけて刊行した新雑誌で連載を始めたものの、一号で休刊(以後、ブルボンの歩くところ死屍累々!)。一年以上後になってエロ雑誌「e*ONNA」に連載を移籍し、変則的に「第二回」からスタートさせた。どうせエロ雑誌だからと好きなマンガを好きに語ってみたが、その割には後の「パンに塗るマンガ」と比べても生真面目な語り。読者からの反響が皆無の連載だったが、後のFRaU連載への布石にはなった。今は「e*ONNA」も休刊らしい。
俺が本当のゲーム脳 ゲームエッセイ
ハイパーコラムステーションにて連載
playstation.com 03年1月から05年8月まで隔週掲載。全50回。

プレイステーションのサイトなので、当然他社のゲームの話はできなかった。分量自由だがギャラは一回五千円と過去最低。うち40回分ほど、他の連載とあわせて「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」として刊行された。ソニーの方針転換で、プレステ.comのコラムは執筆者への事前告知もなくすべて中止となり、「ソニーショック」の言葉どおりの印象を与えた。
ぐっとくる題名 題名論
碧天舎スカイライトWebにて連載
02年7月から03年1月まで掲載。全7回。/碧天舎 

自費出版の会社から飛び込みでの依頼に戸惑うも、その編集者と意気投合。「自費出版のサイト向け」のコラムを逆算して、画期的題名論の連載を思いつく。ノリノリで続けるが、最初の編集者が会社をやめて引き継いだ後任のお役所仕事的失礼さに決別。「活字倶楽部」へと連載の移籍を図る。碧天舎は06年倒産。ここでもサトウマユ氏がイラストを担当。
となりのゲーム日記 ゲームエッセイ
山田屋本舗メールマガジンにて連載
02年4月〜2月まで全11回掲載。/株式会社アイスリー刊 

任天堂のファミコンに特化したエッセイ。ゲーム履歴をふりかえると、任天堂ではなくセガ派だったため「となり」という言葉で遠慮を示した。全11回のうち10回を単行本「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」に収録。読者数二百弱という媒体だったがギャランティは発生していた。山田屋本舗の母体となった企業も現在は倒産。
ブルボン小林の末端通信 ウェブエッセイ
めるまがWebつくろーにて連載
00年12月創刊号から02年11/04号まで週刊連載。全60数回(不明)/株式会社アイスリー刊

ブルボン小林のデビュー作。Web製作者向け検索サイト「Web296」内で刊行されたメルマガに連載。ギャラをもらった初仕事が週刊連載という異色の履歴となる。ウェブ製作者向けといいつつ、伝書鳩とメールのスペックを真面目に比較したり、カシオ電卓について熱く語ったり割とむちゃくちゃやっていた。書下ろしを加え、03年1月、光文社カッパブックスより刊行。単行本のイラストはいましろたかしが手がける。